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歳を経て(後天的に)障害を持つということ(small G)

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歳を経て(後天的に)障害を持つということ(small G)
今回はsmall Gさんのブログ『small G』からご寄稿いただきました。
※この記事は2014年05月29日に書かれたものです。
■歳を経て(後天的に)障害を持つということ(small G)
多くの若い人は多分自分が障害者になる可能性ということを想像したことは無いと私は思うんですが、どうでしょう。少なくとも私自身はそうでした。というか、若いころそういう可能性(リスク)には目を向ける暇もなかったというのが半分本当かもしれませんが。

若いころの日々の生活は楽しく、苦しく、切なく、苦(にが)く、悲しく、悩んだり、怒ったり、恋したり、失恋したり、来る日々来る日々が、日々が若さゆえに許される「その歳でやっと可能になる新鮮な体験」に戸惑ったりというような毎日を過ごしているのが多くの若い人の日常じゃないかというか、当時の私自身は少なくともそうでした。

純然たるオッサンである「今の私」のように馬齢を重ねても同じような経験はやはりしておりますが、若いころの「フィルター無しで紫外線を浴びる」ように、ギラギラとした新鮮さを伴った感覚を持って身の回りで起きる日々の出来事に反応しているわけではありません。
そこにはやはり馬齢を重ねたなりに、多くの人々から学んだ体験談やおのれ自身の失敗や成功の経験を通じて七転び八起き状態で学んで堅めてきた結晶のような「自分なりの知恵」というフィルターを通じて、昔の自分よりもいろいろな出来事により柔軟に対処、かつ冷静に見つめる事ができるようになっていると確実に感じます。(質の悪いかなり曇ったフィルターでは有りますが・・・。)

だからといって、もともと自分が持っている愚かさの底上げが出来ているとは未だに「到底」思えませんし・・・、そこは先人が理想とした四十にして惑わずなどという、私にとって「絶対無理~!」という高すぎる目標ではなくて、せめて日々何かを変えて昨日よりちょっとだけ進歩した自分に、という気持ち先行で心持ち頑張る日々を送っているのでした。(肉体的には日々退化ですが・・・。orz)

さて、冒頭で書いた「障害をもつ」ということですが、自分自身が肉体的な障害、精神的な障害を持つ可能性というものが次第に眼の前に「可能性」として広がってくるのが不惑を超えた当たりからでしょうか。
朝起きた時、何となく前日の疲れが取れにくいとか、前は息が上がらなかったはずの階段で、上がりきったあと息が切れたりとかいう小さな変化が起き始める歳です。いわゆる典型的オッサン化ですね。w
不惑からあと、まだ私の場合は次の十年の区切りをつけるまでには至ってはいませんが、前にも書いたように大きな病も経験しましたし、人生なんてなにか一つチョッとしたことが起きるだけで法的に認定してもらえるだけの障害者になる可能性があるということがリアルな世界として実感できるようになりました。

ましてや、医師をしていると周りでは日常的に肥満や加齢による高血圧、糖尿病、脳血管性の疾患、更にそれらが二次的、三次的に壊していく玉突きのような障害の形成が起きるのを見ており、元気な人でもアッという間に障害区分認定を受ける状態にまで悪化する可能性はいくらでもあると言う事実を日々突きつけられます。
(若い人の場合は大きな突発的な事故や重大な疾病の場合にそうなることが有りますが、そういった場合、多くの中年以降の人が普通に通って行く老化の一過程での障害獲得とはまたいろいろな意味で異なったレベルの対応を取らざるを得ません。特に患者さん本人の心のケアや御家族への対応という意味で。)

しかし、若い時にはなかなかそういう「誰にでも起きる厳然たる可能性」は見えないし、見たくないであろうし、またそんなことをくよくよ考えても詮無きかな等と言えないこともありません。
でもやはり私が若い人たちに心の片隅には留めておいて貰いたいことは「障害」というのはどのような形のものであれ「明日は我が身」の出来事なのだということを。
そうすれば、障害を持っている人を見ても心の底から優しく出来るようになれるんではないかなと。それが出来ないという場合があるとすれば、それはやはり「想像力の貧困」に起因するものなのでしょうか。(だからそれが出来ないのは悪いなどというのではなく、それを考えるチャンスがなかったのだろうと考えるのが最もありきたりな事実だと思います。)
後天的障害でさえそうです。ましてや先天的障害を持つ人々には尚の事、優しく出来ないものかと思うんですが、やっぱりこういったことに目を向けさせるというのは小さな頃からの日常生活を通した親の教育による体験学習的な積み重ねなんでしょうか。

社会の中で障害を隠したりするのではなく、それを持っていてもあたかも空気のように周りの皆が普通に気負うこと無くハンディキャップのある人を助けてあげられるようなgentlemanshipを示す社会がほんとうに到来した時、その国家はほんとうの意味で成熟したのだといえる気がします。経済力やインフラの問題では無いと思います。

難しい問題ですが、人として目を背けてはいけない(いられない)問題であることには違いありません。
何度でも言いますが、これは「誰にでも起き得る明日は我が身の物語」ですから。最近強くそれを考えさせられるような患者さんとの交流が有り、アホなりにこういった駄文を書いてみることにしました。
執筆:この記事はsmall Gさんのブログ『small G』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年05月30日時点のものです。

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